A-41, 42, 43 日航機墜落事故, スチーブンの旅立ち, この国の上下関係

日本航空, 事故
目次

1985年8月C日

日航機墜落事故

日本航空, 事故

 今日、日本で520数人を乗せた日航のジャンボジェットが落ちたというニュースをこちらのテレビで見た。最初は別に気にもとめずにただの事故だと聞き流していたが、事故の詳細を聞くにつれ、なんとも言い様のないやりきれなさと悲しさが自分を包み始めた。

 先日の豊田商事の会長殺人事件にしろ、今回の事故にしろ、ショッキングなニュースがこのところ日本から伝わってくるが、自分にはこれらの事件が、何か現代の日本社会の行き過ぎを無言のうちに物語っているように思えてならない。つまり自分には、現代の日本の狂気的ともいえる社会全体のスピードに伴う緊張感が、人間の許容限度をそろそろ越えていきつつあるような気がする。

 ここ数年、日本で起こった一連の大事件を思い起こしてみると、個人が他の個人と競争しているのみならず、個人が現代の日本の社会に挑戦し、個人がその戦いに負けて引き起こされている、とは言えないだろうか。

現代の日本の社会が持つオーバー気味の競争主義と失敗を許さない完全主義(これはある外国人の日本に対する指摘から引用した)が、それらに必然的に伴う緊張と疲労を個人に慢性的に強制して、個人を容赦なくグシャッと押し潰してしまってるんではないだろうか。

 競争主義と完全主義は、いやがうえにも社会のスピードを上げていく基本的な性質を持つであろう。そしてそれが過度になれば、あたかも超音速ジェットの衝撃波が窓ガラスをバリバリと粉砕するがごとく、その社会自身に補修のしようのない亀裂を作り始めることであろう。

 競争主義と完全主義とが、戦後のわが国の経済成長を支えた精神面の2大メインエンジンであったことは否めないし、それを責めることもできない。しかし、このオーバー気味のスピードをゆるめない限り、いつかわれわれの社会はその内側深くから、マグマのような真っ赤な血潮を吹き出しかねない。いやすでに血は少しずつにじみ始めているのかもしれない。

 自分には、何か今の日本の社会の輝きの裏にチラチラと見え隠れする怪しい影がやたら気になってならない。日本社会も短距離ランナーのようにただ前だけを見て走るのはそろそろ卒業して、マラソンランナーのように常に前後左右を、そして何よりも自分自身に無理のないペースで走る時期にさしかかっているのではないだろうか。

 一言で言えば、余裕を持って生きていく。それが80年代後半から90年代を迎えようとしているわが国に、何よりも求められているような気がする。この余裕の国オーストラリアにあって、そう真剣に思う。

スチーブンの旅立ち

1985年8月D日

スチーブン, 文字, 学校

 きのうスチーブンがノースロッジから出ていった。ジョーの友達のトラック野郎の横に座って、メルボルンまでタダで乗せてもらうという。

 やつは何ともおかしなやつだった。なんでもやつはエレメンタリースクール(日本の小学校と同じ)だけは6年間なんとか通ったものの、そのあとのセカンダリースクール(日本の中学校、高校に相当)へは、なんとまったく行かずに、毎日家の近くの池で釣りをして22才の今まで来たという。クイーンズランド州のド田舎で育ったやつならでは、オーストラリアならではの話だ。

 以前、キッチンで、スチュアートに綴りを教わりながら、やつが手紙を書いているところを横で見ていたが、やつの英語を書く力がまさに日本の中学校1年生と同程度、あるいはそれ以下であることにア然とした。まったくウソのような話だが、英語圏の国であるこの国に生まれ育って、22才にもなって、「What」や「Come」の綴りを知らない人間が実際いるのである。

 やつはもちろんネイティブのオーストラリアアクセントで流暢に英語を話すオーストラリア人である。しかし、やつが話しているのを耳を澄ませてよく聞いていると、
「I see him yesterday. 」(ふつうはI saw him yesterday.)
とか、
「I will left you alone. 」(ふつうはI will leave you alone.)
というような、まったく文法を無視した冗談みたいなデタラメをしゃべっている。ホント、よくこれでこれまでこの国で生きてこられたもんだと、なかば尊敬すら覚えるほどだ。

 あと、やつは親元を離れて3、4年になるらしいが、2年ほど前、クイーンズランドの両親に電話を入れたところが、なんと彼らが何の予告もなしに引っ越してしまっていたという。つまりやつは今自分の両親や兄弟がいったいこの世のどこにいるのか、さらに彼らが生きているのかどうかさえまったく知らないのだという。まさになんにも知らないやつとは、やつのことだった。

 しかし、そんなやつでも人に迷惑をかけないという意識は人一倍強い男だったようだ。共同キッチンで、やつはいつも冷凍のフライドポテトばかり作っていたが、使った食器や汚れたガス器具などは、いつも洗剤できれいに洗って次の人へと渡していた。

 そんなケッタイなやつもいなくなれば淋しいものだ。やつがお姉さんのようになついていたシャロンはスチーブンが出ていったあと、部屋に閉じこもってしまった。兄貴のような存在だったスチュアートも、いつもスチーブンとじゃれていたホテルのパブに姿を見せることが少なくなった。

 ジョーもビクターも北の鉱山での仕事がそろそろ見つかりそうだというし、シャロンも近々自分のアパートを買うつもりでいるという。ノースロッジ黄金時代もやはり永遠には続かないようだ。だんだん、ここも淋しくなっていく。

この国の上下関係

1985年8月E日

人間, 上下関係

 この国の人々の人間関係のあり方に驚かされることがある。

 わがレッドスターはトニーという32才のニュートンカレッジの先生をプレーイングマネージャーとして、19才から25才のこの学校のOBを中心にスーパーリーグ用のシニアチームを作っているが、はたしてマネージャーと選手との間に上下関係というものがほんまにあるんやろか、と思える時がある。

 リックはニュートンカレッジから西オーストラリア大学法学部を出た25才の弁護士でキャプテンだが、やつなどトニーが練習前に柔軟体操をして、かがんでいるところを、足で背中を踏んづけながら、
「Come on, Tony! That’s not enough, mate!」
(おいおい、トニー。そんなんじゃあ、だめだぜ。相棒!)
てな具合。軍曹と兵隊との関係のような日本のスポーツクラブの師弟関係とは180度違っている。

 3歩下がって師の影を踏まないことが美徳とされる東洋の国に育った自分にとって、上記のような光景はまさに眼球の色が茶色から緑色に変わっていくような衝撃を与えた。

 ミーティングの時も、トニー以下、一番年下の19才のデイヴィッドまでみんな自分の意見を出し合って、というよりかガンガンとぶっつけ合って、このレッドスターというチームのあり方を検討していく。自分の知る範囲では英語圏の人たちは非常に議論好きだとの印象があるが、この国の人たちもやはりその例に漏れないようだ。

 彼らの議論のやり方は、アメリカ人のように相手を力づくで叩きのめすまでやり通す、という荒っぽいものではない。だが、あとあとまで議論をしなかったことから変なしこりを残さない程度には、きちっとやっているように見える。自分も日本ではかなり自分を前に押し出すタイプであったが、この国ではそれがまったく普通で、むしろその意味ではこっちの方が居心地よいといえるかもしれない。

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