1986年2月B日 ヒースロー空港2日目の1

翌朝、コーンフレークと紅茶とチーズだけの粗朝食をそそくさと食べ、オレたちは再び「護送車」の人となり、ヒースロー空港へと戻る。
昼間見えるロンドン郊外は美しい。なだらかな丘がいくつもいくつも続く。このあたりの土地は主に牧場として使われているようだ。フリーウェイを走る車はフォードが多い。ドイツ車、日本車はごくまばらでしかない。
やれやれ、鉄格子付きの車窓からしかこの国を見れないとは、つくづくトンマな話である。まだ頭はボーッとしている。しかしそれでも、あたりまえのことながら、自分がいかに情けない立場に立たされているのかだけはわかる。あーあ、早くどうにかしてくれ、イギリスさん!
ヒースローでは昨日の「特別室」ではなく、Detension room(収容所!)なる、それこそ一生に一度以上とても入りたくはない名前の部屋へと案内された。
この部屋はタテ12メートルヨコ15メートルぐらいの大きさ。真ん中にテーブルが3つ、4つ置かれ、椅子が壁の周りに並べられている。中には合計20数人の「囚人」たちがワイワイガヤガヤとテレビを見ている。人種構成は黒人が半分、アラブ、インド系が4割、白人が2、3人、東洋人はオレひとりである。
なぜかここのムードは昨日とがらっと変わってやたらと明るい。黒人が多いせいか、ガハハハという強烈な笑い声が響く。
髪の毛の長い黒人が終わるのを待って、オレは部屋の中の電話機にコインを入れた。オーストラリアのヨリコさんと連絡を取るためだ。
オレがこんなクサッたところにいるのも、すべて手元にカネがないからにほかならない。それならば、彼女と連絡を取って、なんとか彼女にあの小切手が有効であることを証明してもらえばいいのではないか。シドニーはいま夕方だが、彼女はまだ事務所にいるはずだ。
思えば、オレの甘い考えとつまらないミスが運命を変えてくれたもんだ。オーストラリアからシンガポールの友人宅へ送ってもらった小切手を受け取り拒否され、マニラへもう一度送ってもらったもののまた受け取れず。ほんと彼女には迷惑をかけている。
コインを入れて、オペレーターにヨリコさん側払いのコレクトコールの取り次ぎを依頼。図々しさはこの際、電話で許しを請うしかない。なんせ手元には20ペニーコインが5つしかないのだから。
オペレーターの「Please」という声の後に、3ヶ月ぶりに聞く彼女のびっくりした声が続いた。
「どうしたの!?いまロンドンからって?」
「ああ、びっくりさせてごめん。話を早く済ませたいから、手短かに話すよ。実はオレいま、・・・・・・・。それでオレの小切手のことなんだけど、・・・・・。」
「ええっ?そんなの、もうとっくにフィリピンへ送ったよ!まだケンさん、あれもらってなかったの!?」
「送ったってぇ!???いつ、それ??」
「ケンさんから手紙をもらったすぐあとよ。もうひと月半くらい前じゃないかしら?」
「もう、そんなに・・・」
「きっちり封をして、私、間違いなく自分で送りに行ったもの。」
「・・・そう・・・・。」
「うん、お金のことだから・・・、きっちりしようと思って・・・。」
「そうかぁ、ほんとにお手数かけて・・・」
「それはいいんだけど、シンガポールからあれが送り返されてきたりして、いろいろ心配したのよ。」
「ゴメン。オレ、ミスばっかりやって・・。」
「で、いまロンドンのどこなの?」
「どこって、ヒースロー空港の収容所の中だよ。」
「シュウヨウジョ?」
「ああ、周りには密入国者やら密輸人やら亡命者やらがいっぱいいるよ。」
「密・・・・・・・!!??」
ショックの連続パンチをくらって、彼女は声を失ってしまった。
「ごめん、ヨリコさん。ということなんだ。このコレクトコ-ル代は、また後日きっちりと返すからね・・・。」
「えっ?これコレクトコールなの!?」
「そう、ゴメン・・・・・。」
「・・・・・・。」
オレは完全に彼女の失望と軽蔑をかったようだ。オレがじゃあといってあいさつした時、彼女のじゃあという声が声にならなかった。
受話器を置くと、自己嫌悪の煙がオレを取り巻いてきた。ホント、うまくいかない時はどうしようもなくうまくいかないもんだ。ヨリコさん、ホントにゴメン・・・・。
コメント